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2016年07月15日

ヒマワリ

ヒマワリは、向日葵(ヒマワリ)とも書き、花が太陽の方向を追うように動くことに由来するのです。


ヒマワリの花言葉は「私はあなただけを見つめる」ということで太陽だけを追うという性質にちなみます。


英語では、SUN FLOWERでまさに太陽ですね。
あなただけを見つめて愛慕や崇拝という花言葉にもなるようです。


そんな人が現れたらいいですね・・。


P1000326.JPG
ラベル:ヒマワリ
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2011年05月18日

忘れていたムスカリ

3月末から4月にかけて散歩している道端でムスカリをよく見かけていた。
ユリの仲間である。


ただ、何となく小さな子や赤ちゃんがムズカル様子を思い出す花である。
どうしたわけかは分らないが、あの花のごちゃごちゃしたところがそんなイメージになるのであろうか。


春先のさわやかな空に、チューリップとムスカリが並んで植えてあって、いい感じだと思って撮影しておいたのを出しそびれていた。
やはりむずかっているのだろうか。


ちなみにムスカリの花言葉は、寛大なる愛、明るい未来、通じ合う心、失望、失意とまるで正反対の意味があるらしい。
何となく複雑な花でもある。


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2010年11月13日

酔芙蓉に問うてみる

秋祭りの朝は早い。
屋台を宮入りさせるのにお宮が遠いので、暗いうちの5時には準備を始め6時過ぎには村を出かける。


朝寒いのでお神酒をご馳走になるのが恒例である。
飲兵衛も下戸も茶碗に一杯ずつ飲んで気合を入れ、気勢を上げる。
ふんどしに身が引き締まる毎年の行事である。


お宮までの道中、担いだり台車に乗せて押したりしながら勇ましく練り歩く。
今年は途中で珍しいものが目に付いた。


酔芙蓉である
大きな大きな酔芙蓉が聳え立つようであった。

酔芙蓉2.jpg

こちらが酔っ払っているのか、あちらの花が朝から恥ずかしがっているのか、お昼にはまだまだ先があるというのにもう色づいている酔芙蓉である。

酔芙蓉1.jpg

お互いにいい気分で秋風を受けていた。
元気にしているかとそっと声をかけてみた。
一緒に祭りを祝ってくれているような見事な見事な酔芙蓉であった。






ラベル:酔芙蓉
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2010年10月08日

曼珠沙華は気づきの花

毎年、彼岸近くになると曼珠沙華が咲いてくる。
以前は田の畔でよく見かけたものであるが、最近は消えてしまったところも多い。
また、花の色が昔ほど鮮やかでなく少しくすんだように感じるのも気のせいであろうか。


曼珠沙華は多年生の球根なので簡単に無くなってしまうことは考えられず、むしろ増えていくのが普通なのであるが、これも環境汚染の影響なのかもしれない。


曼珠沙華の鱗茎に含まれるアルカノイドは毒性があり、これを食べると中毒になる。
田の畔に植えたのは、モグラなどの小動物が畔に穴をあけて壊し、水田の水管理が出来なくなることを防ぐ目的であったと聞いたことがある。


また、その昔、土葬が行われていた時代には動物が死体を掘り起こして荒らすのを防ぐためであったとも言われている。従って「死人花」とも呼ばれ、不吉で忌み嫌われることが多い。


小さい頃、花を摘んで家に持って帰ると、おばあちゃんからこの花は「手腐れ」と言われているので、手が腐るから触るなとも教えられた。毒性のある植物への警戒感があったのかもしれない。



しかし、大人になってみれば何となく懐かしい花でもある。
我が家の庭の片隅には毎年咲き出す場所がある。特に増えも減りもしないが毎年同じ時期に同じように咲く。そして曼珠沙華を見るたびに何か心に訴えられるような気持ちになる。

マンジュシャゲ.jpg

遠いところから忘れずにやってきて
「今の生き方のままでいいのか」「何か見失っていることがないのか」と言った問いかけをしてくれる。


それは亡くなった祖先や身近な人を思い出す会話かもしれない。
庭先にひっそりと咲いて、それを見てひっそりと考える。
私にとって曼珠沙華は気づきの花でもある。



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2010年10月06日

アブチロンは日陰の花

鉢植えのアブチロンをプレゼントされて3年目になる。
黄色のか弱そうな花が下向きにいくつも咲いて慎ましやかであり、家畜の下痢止めに効くという名前の由来も少し控えめな感じである。


同じアオイ科の仲間でもハイビスカスは太陽の花というイメージで夏の暑い日ざしがよく似合うが、アブチロンにはそこまでの強烈さは無い。


鉢で2年育てたが生育が旺盛で大きくなりすぎるので地植えにすることにした。
庭の隅に植えると更に勢いを増して枝もたくさん出て、花も次々に咲くので多い時などは1株で50は下らなかっただろう。

アブチロン1.jpg

切花にと枝を切って挿してみた。
花に比べて葉が大きいので見栄えはもう一つだ。花は下向きに咲くのでぱっとする感じでもない。
花のにおいにつられてか、何か甘いものが出ているのか蟻もよく来る。


アブチロン2.jpg
何よりも花が1,2日で落ちてしまうのが淋しく残念である。
そんなこんなで切花としての及第点は難しい。


それではどんな位置付けにするのがよいのだろうか。
日陰の花といえば日陰を好む花のイメージであるが、アブチロンは太陽の光も大好きである。
少し可哀相な気もしたが、余り大きくなりすぎても困るので強めに剪定をしながら樹勢を保たせることにした。


そして、庭を眺めたとき、こんなところにこんな花がという驚きがある方が日陰の花としてのアプチロンには似合うのではと納得することにした。


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2010年08月31日

ムクゲを見る心

真夏の街路樹は、誇らしげにその緑を青空にそびえ立たせているが、信号待ちでも目に留まることは少ない。
そこに意識がないからである。


今年のように雨はほとんど降らないときは、葉の色に勢いがなく、狭い土の中で大丈夫なんだろうかと何となく心配したときに始めて、ここにこんな木があったのかと気づくものである。


道端の緑は無くてはならないものであるが、その有り難味は存在感に乏しい。
むしろ、見通しが悪くなるケースでは、うっとうしく邪魔者扱いされる。


ところが動物は意外と別の眼で見ているようである。
 「道野辺のムクゲは馬に食われけり」 芭蕉
馬がどんな心境だったかは分らないが、少なくともムクゲが視野に入っていたことは間違いない。


夏のカンカン照りの中で、あっさりと白やピンクの花をつけるムクゲが好きだ。
八重咲もあるが、猛暑の中では一重のほうが涼しそうである。

ムクゲ-2.jpg


初めてムクゲに気がついたのは静岡へ旅行したときであった
近所でも咲いているはずなのに、それまでは全く目に入らなかったようである。
大井川鉄道で川根のほうへ登ったときに、なんてきれいな花だろうと眼を奪われ、早速挿し木で増やしたのを覚えている。
偶然ではあるが、芭蕉の句も大井川町の渡しで詠んだと野ざらし紀行にある。


ムクゲは芙蓉の仲間であるが、芙蓉のような優雅さは感じられない。
むしろ同じ仲間のハイビスカスと花のつくりも似ていて、夏にあっさりと咲くイメージも同じである。


一日から数日の花の命であるが、咲き乱れる姿は百花繚乱といったところである。
それは、夏の短い命を惜しんで、ここぞと鳴きつくすセミの運命にも似たはかなさである。


花の蕾を乾燥させて煎じて飲むと胃腸カタルや腸出血に効果があるそうで、ムクゲを食べた馬は胃腸が弱っていたのかもしれない。
そういえば、うちの飼い犬も散歩に連れて行くと草を食べることがある。


犬が食べるのは消化が悪いときやミネラル不足を補う意味があるらしいが、薬学を学んだわけではない動物の本能は何とも素晴らしいものである。


人間は薬草の効能を確かめ集大成するのに何万人の犠牲を払ったか分らないが、動物はちょっとした匂いや味で微妙に感じ取るのであろう。


あるいは人間も、その昔はそのような能力を備えていたかもしれないが、文明化に従って退化してしまったのではなかろうか。
何せ、すぐにきれいや汚いなどと根拠もなく自然を分類し、衛生上とか言って遠のけてしまうのだから。


韓国ではムクゲを無窮花と呼んで、その無限極まりないことを繁栄に結び付けて国花としている。
花が次から次に咲くことが繁栄のイメージであるが、一方で次々に散ることはどう解釈するのだろうか。


ところで、挿し木で大きくしたムクゲは、数年で毎年繚乱の花を咲かせるようになり我が家の夏の風物詩と大切にしていたが、あるとき台風がやってきてムクゲの木を渦巻くばかりに蹂躙した。


幸いに、なぎ倒されることは免れたが、強風で枝が焼板の外壁にぶつかり回り、散々にこすり回って見るも無残な傷跡を残すことになった。
家内は、それを見るたびにブツクサと文句たらたらである。
以来、少しきつめの剪定をするようになったが、台風の名残は今も残っている。

ムクゲup2.jpg

そこに花が咲いているのに気づかないことが多くなりつつある現代社会であるが、大風発生のたびにムクゲのことを変に思い出す。
それは、風と共に去るには大きすぎる傷跡でもある。




ラベル:ムクゲ 芭蕉
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2010年08月25日

夏の命の長さ

残暑が続いている。
今年の夏の暑さは格別で、夕立がほとんど来ないので庭の雑草すら生気が無く、変に心配するほどである。


ただ雑草は抜こうと思ってもしっかりと根が生えているので、硬くしまった地面と相まって引き抜くことも困難である。


こんな異常気象下ではあるが、四季の花々はそれぞれの役割を自覚しているのか、可憐な花を誇らしげに咲かせている。
クマゼミのにぎやかな声が、10日ほどで不思議なくらいにぱったりと途絶えるように、夏には一夜花や数日しかお目にかかれない花がある反面、百日、千日と誇張されるぐらい長期にわたって楽しませてくれる花もある。


その代表的なものがサルスベリである。
ピンクや白の花が多いが、青空に紅色が咲き誇る姿は壮観でさえある。
その花は次から次へ咲き乱れ、夏の間3ヶ月以上にも及ぶので百日紅と呼ぶが、これは中国から由来した名前であるらしい。

サルスベリ-2.jpg


日本では、その見た目がすべすべした感触の樹皮であることから直接的にサルスベリと呼ばれることが多い。尤も、少々滑らかであってもサルが滑ることはなさそうである。


我が家のサルスベリは、毎年カイガラムシにやられるので樹皮のお肌の手入れも悪く、庭で飼っている犬でさえよじ登ってしまいそうである。


毎年、冬前にマシン油を散布することにしているが、なかなか退治するまでにはいたらない。
それでも夏になると他よりはやや遅れるが健気に花を咲かせてくれる。
百日紅で無く75日くらいの命であろうか。


サルスベリも5mくらいの大きさになり幹が太くなると立派な床柱になってくれそうであるが、毎年剪定をして形を整える割には残念ながらツィギーの様なすらっとした脚のままである。
家内のダイコン足が妙に恨めしくなる我が家のサルスベリである。


百日の次は千日である。
中国の詩はスケールが大きく、李白の五言絶句に白髪三千丈がある。
それは延べ1万mの長さに相当する。


当時も今も、とかくこの世の悩みや憂いは簡単に無くなるものでもなさそうで、心配事で増えた白髪の量をつなぎ合わせると非常に長いものになる喩えと思われるが、こればかりは白髪にならないと実感が乏しい。


髪の話でなく花の話に戻ると、千日といえば千日紅がある。
ヒユ科の一年草で確かに次々と咲いて長持ちしそうであるが、千日だと3年にも及ぶ。
一年の枠をはるかに超えてしまうのでさすがに誇張であると思われるが、よく調べてみるとドライフラワーにすると千日近くも色あせないとある。
日本にも中国並みの大風呂敷が少しはあるようである。


千日紅.jpg

千日紅-2.jpg


千日紅は次々と花が咲いてくれるが、切花にしてもそんなに長持ちしそうになく夏の暑さで水温が上がるとすぐに駄目になってしまう。
花期が長いので仏花として最適との触れ込みはあるが、やはり管理次第のようである。


不滅とか変らぬ愛という花言葉があるが、長く花の色を保っていることが前提で、いかなる恋愛もそれなりの前捌きが必要ということだろうか。
可憐で初々しい写真の姿を常に焼き付けておくことが何よりの秘訣で、現実と相談しすぎるのも問題のようである。花のイメージでさえ遠きにありて思うものかも知れない。


ドライフラワーに関しては、スターチスが最適と思って今年もたくさん作っているが、千日紅にも新鮮さを期待してトライしてみることにしようと思う。スターチスとのシンフォニーが楽しみである。


百、千と来れば、次は万である。
但し草花の類では、さすがに万日とまではやりすぎと考えたらしく、該当するものは見つからない。
もしあればぜひご教授願いたい。


ひとつ観葉植物の中に万年青(おもと)がある。
これは徳川家康が江戸城に移ったときに万年青を持って入城し、その後徳川家が栄えたことから引越しに持って行く風習が生まれたとある。


しかし、徳川時代は300年でとても万年には及ばない。
ただ、この植物は年中青々としており、正月の生花として床の間に飾ると心機一転ですがすがしい。


いつも青々とした若い姿が一体何年続くのか、万年まで確かめてみたい気がするが、こちとらの寿命がせいぜい100年までである。
残念ながら、どうもお後がよろしいようである。






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2010年08月12日

モノトナス

英語でmonotonous 単調な、一本調子で飽き飽きするという意味である。
何の話か脈絡がつきにくいが、作物のナスを思うと不思議と浮かんでくる言葉で、多分、高校時代の無理やり英単語を頭に詰め込んだ悪い名残であろう。
ただ、習慣とは恐ろしいもので何十年もたった今でも、機械的に浮かんでくる言葉でもある。


さて、今年のナス作りは今のところ散々な結果である。
冬の間に田の土を運んできて畝を高くこしらえ保水性をUPさせた目論見と、とりあえず連作が無関係な初年度ということで、きっといいナスが出来るとタカをくくっていたら、お盆近くになるまでほんの少ししか収穫が出来ないのである。


我が家では毎年の夏野菜に定番のナス、トマト、ピーマンの接木苗を3,4本買ってきて植えることにしている。いずれもナス科の作物で連作に弱いため接木苗にする。
今年は新しい土を運んできたので、連作障害対策はバッチリと思っていたが、なかなか目論見どおりにはいかない。


まず、トマトとピーマンは、どうやらウィルスにやられた株があるようで葉が縮れて大きくならないままのものがある。
ナスはウィルスの被害は大丈夫な様であるが茎が例年と違ってかなり細いままで、葉の数も花の数も心もとないばかりである。


どうも梅雨明け以降、雨が少なかったのが原因のようである。
畝を高くしてバーク堆肥も入れておいたので、水さえやれば十分だと甘く見ていたのが失敗だった。
バケツで川の水を汲んできてたっぷりやると、よく湿った感じになるので潅水回数がいつもより少なく、根が十分に張り切っていなかったようである。


周りのナスに比べて、どうも株が細くて葉が小さいと心配していたのだが、心配するだけで十分な観察と対策にまで至らなかった。


余り花が咲かないままなので、少し小まめに水をやるようにしたら、木の勢いが出てきて葉の数がやや増え、花も少し増えて最近になってやっと実が取れるようになってきた。


もう8月上旬。盆前で、いつもなら切り戻し剪定をして体力を蓄えさせる頃である。
ところが今の樹勢なら、とても切ることが出来ない、というよりやっと実が取れだした頃なのである。
病気も無く、きれいな葉や実を見ていると、今までほったらかしでサボっていたのが全く申し訳ない気がする。


鳴かず飛ばずの我が家のナスを見ていると
「親の意見とナスの花は千に一つも徒は無い」という諺がよく分ってくる。


隣の畑のおじさんが、ナスは水さえ十分にやっていれば花がどんどん咲いてくる。
水が切れるとダメだとよく教えてくれていたが、一度たっぷりと潅水しておけば土の中に水分が何日も蓄えられていると頭から思い込んでしまい、よーく観察していなかったのが敗因である。


改めて水の大切さを思い知らされた今年のナス作りであるが、まだ試合は6回を終了した程度で後半戦はこれからである。


夏のビールに塩もみをした小さめのナスをそのまま摘むのが何よりのご馳走であるが、秋には大きく太った焼きナスが待っている。


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夫婦二人の我が家では「秋茄子は嫁に食わすな」でなく、嫁とともに秋の自然の恵みを満喫することにしているが、色鮮やかなナスの漬物をあっさりと平らげて、この暑い夏を乗り切れば葡萄や柿、梨の果物も待っている。


そうした果物の甘さに、秋の空よりも更に深く濃い青い色のナスを添えて食欲を満たしたいと
モノトナスに考えているこの頃である。

















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2010年08月05日

健康美

ピチピチギャルの話ではない。
夏の暑い盛りの中、赤く赤く色づいたトマトをもぎ取って冷蔵庫で冷やしておき、味塩をぶっ掛けてかぶりつくとなんとも旨い。


よく実の締まったトマトは、ずっしりとした重さと充実感があり、マグロのトロと見違うばかりでもある。
そして、意外とビールのつまみのもなる。


あのトマトの赤い色は、黄色い花から始まり、緑の実が出来て太陽の光で赤く熟した自然の賜物である。また、それは色の三原色に近いものの再現でもある。

Tomato-2.jpg


トマトは南米アマゾンが原産といわれるが、あれだけのガンガンした日照り、紫外線を受けても決してその肌が焼けることはない。
日焼けしたトマトにお目にかかったのがないことを見ると、何か特殊な日焼け止めがあるのだろうか。


人間の場合は、短時間に紫外線を浴びると、活性酸素が発生して肌が醜く焼けるだけでなく、シミ・ソバカスの原因にもなってしまう。


小麦色の肌は健康色といわれるが、うまく日焼けを作り出すことがなかなか難しいのは、若いお嬢さん方がよく分っていらっしゃるところである。
それは、シミ・ソバカスの危険性と隣り合わせの冒険なのである。


トマトに日焼けはないなどと、何アホなことを言っているのかとお叱りを受けかねないが、一般に濃い色の野菜は余程のことでないとその輝きを失わない。
トマトの場合、カルシウム不足で尻腐れになって黒く変色することはあるが、これは栄養不足によるもので太陽光のせいではない。


紫外線のダメージ防止として、ビタミンやミネラル、抗酸化物質の豊富な野菜や果物をとりなさいといわれるが、これは野菜の色の成分であるカロチノイドが悪者の活性酸素を除去するためであるらしい。


トマトの場合は、特にリコピンといわれる色素が抗酸化力が強く、熱にも安定でビタミンEの100倍の威力があるといわれる。
トマトが日焼けしないのは、この赤い色素の不思議な力が働いているのだろう。


北原白秋は童謡で「赤い鳥小鳥、なぜなぜ赤い、赤い実を食べた」とうたった。
赤い色のものを食べると赤くなるというのは分りやすく、不思議な説得力がある。
ポパイのほうれん草ではないが、これを食べると強くなるというのは子供のあこがれである。


いや、子供だけでなく年をとっても憧れはある。
老化を分っていても、年をとったという認識には辛いものがある。その老化防止に植物色素に含まれる前述のカロチノイドがいいらしい。


カロチノイドは、その抗酸化力で植物の緑の成分であるクロロフィルを守っているのであるが、緑が保たれるのが若さを失わない理由かもしれない。


いずれにしても活性酸素の活動を抑制しておくと、いろいろ良いことがあるようである。
赤い実を食べて赤い鳥になるように、赤い実を食べて、その活力を吸収して若返りたい、若さを維持したい。


そんな望みをかなえてくれるかもしれないと思われるトマトの赤い色である。
何も言わずにがぶりとやりたい。












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2010年07月30日

ドクダミの心

韓流ドラマの時代劇を見ていると山野草を熱心に煎じる場面がよく出てくる。
その効能もさることながら、植物を見つけて名づけ、試行錯誤の検証の挙句に人に役立つことを見つけ出し、言い伝えや記録によってそれを引き継いできた人間のすばらしさと驚きを覚える。


考えてみれば、現代の薬も大半は自然界由来であり、多くの病理結果に基づいて今なお新薬を模索しているのである。
我々一般人は、ただその恩恵をこうむっているわけであるが、効能ある植物の一つに気の毒に思われる雑草がある。


その名はドクダミ
毒をためるからドクダメになり、更にドクダミになったらしい。

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昔から腫れ物を吸い出すのと毒下しの効用で、健康維持の薬草として知る人ぞ知るである。
しかし、手で触るとなんとも臭い匂いがする上に旺盛な繁殖力も相まって嫌う人も多い。


犬を散歩に連れて行くと、よく草を食べることがある。
犬は消化を助けるためや体調を整える本能で夢中になって草を捜して食べることがあるが、ドクダミには決して見向きもしない。


あの匂いがあるから逆に毒草と思っている人がいるかもしれないが、白い可憐な花は憎めない。
5〜7月頃の開花期の地上部を乾燥させると特有の匂いがなくなり、十薬(じゅうやく)という生薬名で、煎じると利尿や動脈硬化に良い。


湿疹やかぶれには生の葉をすりつぶして貼るとよく、4〜5枚の葉を揉んで汁が出るようになったものを鼻の穴に挿入すると、蓄膿症にも効果が高い。


今年は嫁が知人から斑入りドクダミをもらってきた。
ドクダミという名と、抜いても抜いても生えてくる雑草ということで嫌っていたのだが、夏に涼しそうできれいな葉になると勧められて断り切れなかったようで、鉢に植えてせっせと水遣りをしている。


7月にはいって本家のドクダミの花が終わった頃、盛夏のぎらぎらする日差しの中で緑と白と黄色の葉が何とも涼しそうである。


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斑入りというのは遺伝的要因やウィルスなどで本来の緑が白や黄、赤模様になるのであるが、古くは錦葉とも言われ珍重されてきた。
斑入りのアオキ、マサキ、ヤツデなどがそうであるが、錦鯉も同じく遺伝的なものの様である。


植物の場合は葉緑素が失われているので糖を作る光合成能力が低下し、余り丈夫ではない。
うちの嫁とは関係がないが、色白が美人薄命といわれるゆえんであろうか。


少し余計なことを書いてしまったが、ドクダミは打撲や毒虫刺され、痔にも生葉を揉んでつけると良いらしい
薬も何もない山中で転んで怪我をしたり、蜂に刺されたりしたときには思い出したい雑草である。


普段は散々悪口を言われて煙たがられているが、何かのときには意外と頼れる人がいるものである。
ドクダミもそんな存在だと思うと、少しはいたわりの気持ちをかけてみたいものである












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